2008年 05月 10日
「絵を伝えることの楽しさと難しさ…」 |
ペンと水彩、14 x 21 cm
「5月7日のスケッチクラスにて…」
セントラルパーク/ジャックリン ケネディー オナシス貯水池の眺め。周囲約3kmの貯水池に散らばったメンバーを捜しながらひたすら歩く、歩く、歩く…、気持ちのいい一日でした。
人と接すること、ましてや人に何かを教えることなど自分が一番苦手と思っていましたが、昨年の夏にふっと「絵の講師募集…」の広告に目が留まり、何も考えずに翌日には面接のアポをとりました。きっと今の殻を破りたいと思っていたので、考えるよりも本能で動いたのかもしれません。担当の方とも価値観が合い、もちろん始めてよかったと思います。
現在、日本人のクラスとアメリカ人のクラス、そして日本とのネットのクラスを含めると計20人、そのメンバーの半数は私より人生の先輩です。絵のこと意外では私が学ぶ事の方が多いわけで、メンバーとの会話では自分に足りないものを学ばせてもらえます。「唯我独尊、絵描き上等…」も又、アーティストとして必要なのでしょうが、一人の人間としてはつまらないな…と思う今日この頃です。絵はその人間なり…ですから。
さて本題ですが私のクラスは星の数ほどある「絵画講座」の中で、技術ではなく、それぞれの方が持つ自己というものを表現する楽しさを2~3時間の中で楽しんでほしい訳ですが、「絵画」という文字が「講座」の前に付いているのでどうしても絵の技術やコツをほとんどの方が求めてしまいます。ただそれは当然なことで逆の立場なら私も「もっと技術を教えろ…」と言いたくなります。なぜならほとんど技術は何も教えないクラスですから…。でも私があえて技術を重視しないのには理由があります。書道、華道、茶道は後ろに「道」が付く世界ですので基礎の上に自己の宇宙観や死生観が存在すると思いますが、絵の場合は「絵道」とは言わず、技術が逆に表現の邪魔をして絵がつまらなくなります。技術よりも実際に外でスケッチブックを開き空気を肌で感じて描いてもらうことを重視しています。私は3年間デッサンからみっちりと叩き込まれました。2千枚以上のデッサンがクロゼットの中で眠っています。しかし慣れとは怖いもので、ある程度の技術がつくと、たいていのものは描けるようになります。一般的に技術が上手いと思われる絵になればなるほど、本来自己の表現であるべき絵の本質からは遠ざかり、技術に頼った無味乾燥的な、ただの紙切れやキャンバスに絵の具がのっただけのものになりがちです。絵の具はただのせるのではなく、自己の思いや気持ちを表現するための大切な画材です。そこには100人いれば100通りの表現方法があるわけです。私はニューヨークに来た当初はまだ25歳でしたので3年間のアートスクールで技術以外の多くをこの人種のるつぼで学びました。それは技術以上に大切なことでお金では買えない私の核となりました。その核となった表現者としての魂の大切さや楽しさを、これらのクラスで共有できればもっと深く意味のある講座になると思います。まだまだその難しさや自分の未熟さを感じる一方、始めたからには自分の力のおよぶ限りは続けたいと思います。
さて来週はどこに行こうかな…
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by nykazustudio
| 2008-05-10 05:55